荒川光のブログ

日々の生活のなかで感じたこと、思ったこと、考えたことを気軽に書いていくブログです。

それって本当に便利なの? 実は不便かもしれない自動車の装備(その1)

最近の自動車って本当に便利になりましたね。特に注目すべきなのは室内装備の便利機能の数々。一昔前なら手を使っておこなっていた動作を、今では指一本でできるようになってきています。

しかし! 人間の労力を限りなくゼロに近づけていこうというメーカーの努力には一定の敬意を表すれども、「そんな装備って別になくてもいいんじゃないの?」「逆に不便なんじゃない?」という疑問をいだいてしまうケースもあるのです。

今日はそんな「別になくてもいいんじゃねぇ」的な装備をやり玉に挙げ、多少の嫌味と屁理屈で味付けして書いていく企画の第一弾です。お忙しいところを恐縮ですが、どうぞ3分ばかりお付き合いくださいませ。

 

今日のテーマ「パワーウィンドウ」

 

大昔、クルマの窓の開閉はハンドルを手でクルクルまわしておこなっておりました。今でも軽トラックや、一部のクルマの一部のグレードで、そのなつかしい昭和時代のノスタルジーに浸ることができます。しかし現在では、「パワーウィンドウ」という素敵な名前で呼ばれる快適便利な装置が台頭し、旧式のクルクルハンドルを博物館送りにしてしまいました。

ここで、パワーウィンドウをご存じない方のために簡単に説明を加えておきますと、この装置はパワーウィンドウスイッチを「押す/引く」あるいは「下げる/上げる」ことによって、電動モーターの力で窓ガラスを上下させるものなのです。

さて、ではこの偉大なる発明が我々に一体どんな恩恵をもたらしたのか? その最大のものは、腕の筋肉を疲労させてハンドルを回さずとも、ひとさし指一本で目的を達成させられるようになったということです。これは便利!パチパチパチ(拍手)。生活していく上で人が耐えしのばなければならない数多の苦痛の一つから、人類は解放されたのです。「楽をしたい」。その思いが我々の文明をここまで発展させてきたのですね。

またもう一つ、副産物的な結果として、パワーウィンドウがクルマのインテリアデザインの洗練に寄与したことも挙げておかなければならないでしょう。ドアの内側に不格好なハンドルが付いているよりも、スタイリッシュなパワーウィンドウスイッチが付いていた方がカッコいい。なかにはスモールランプに連動してスイッチ部分がブルーやオレンジ色に発光し、夜間の室内においてその存在を主張するようなナルシスティックなスイッチまであるのです。

しかし、逆にこの便利な機能によって我々が失ってしまったものは、はたして無かったのでしょうか?

「腕の筋肉を失った」などというくだらない冗談を言うつもりはありません。まじめな話をしますが、窓を自分が開けたいと望む幅ぴったりに開けにくくなってしまいました。運転席側のパワーウィンドウにオート機能が付いているクルマが多いですが、これなどはスイッチへの力の入れ具合で、ガラスが下まで下がり切ってしまったり、上まで上がり切ってしまったりしてしまいます。ですので、例えば上から2.5センチだけ窓を開けたいという希望を叶えるために、何度もやり直さなければならないことがあるのです。このやり直しは結構人をイラつかせます。テクノロジーに愚弄されているような気がして、窓を上げたり下げたりと悪戦苦闘している自分の姿に自分自身で羞恥を感じてしまいます。本来生活を便利にするための技術であるはずが、その技術を使いこなすために新たな別の種類の労力を強いられる。この本末転倒の事態に直面して、人のための技術ではなく技術のための技術、ひいてはメーカーの独りよがり、便利の押し売りといったものを感じてしまうのです。

窓ガラスを狙った位置ぴったりで止めるには、パチンコ店にあるスロット台の「目押し」のような熟練が必要とされ、素人にはほぼ不可能との意見もあります(知人の自動車販売店員Aさん談)。

しかしこれがクルクル式の窓であれば、上から例えば2.7センチぴったりに開けることだって叶わぬ夢ではないのです。

パワーウィンドウのもう一つの短所は、しばしば起こる故障です。修理するにあたっては、部品代と交換工賃で結構な出費を覚悟しなければなりません。しかし手動式開閉装置であれば、故障のリスクはぐっと下がります(同氏談)。

さあ、手動式と電動式、一体どちらがいいんでしょうかねぇ? 私は手動式でいいですし現に手動式のクルマに乗っています。もしかしたら、18年も昔に誕生したポンコツの軽自動車に乗っている私のヒガミがこんな記事を書かせたのでしょうか?

最後に手動式の良いところをとどめにもう一つ。それはイグニッションキーをオンにしなくても窓の開閉ができるという点です。パワーウィンドウの場合はいちいちキーをオンにするかエンジンをかけなければ窓ガラスは動いてくれないんです。

もうこれだけ挙げれば手動式の圧勝ですね。第一、ハンドルを回すことでどれだけ疲れるっていうんですか?!

 

「得意料理はカレーです」という男

「得意な料理は何?」と女性に尋ねたときに、「カレー」と答える人はあまりいないのではないでしょうか?(あまりこんな質問をしたことがないのであくまで想像ですが)

 

ところが男同士で料理の話になったときに、カレーが得意だという人はよくいます。そして自分の作るカレーがいかにうまいかや、こだわりの調味料、自分オリジナルの煮込み方などなど、嬉々として語り始める人は多いのです。

そんな話を聞くことが別に嫌ではなく、ときにはむしろ愉快なこともあるのですが、心の中ではやはり、「あぁ、あなたもやはりカレーですか。カレーしか作れないんですね」などと思ってしまいます。ひねくれてますね。

 

カレーは誰にでも作れます。そして失敗することも少ない。今までにおいしくないカレーなんて食べたことがありません。小学生がキャンプのときに焚火で作ったカレーだってとってもおいしいのです。少し焦がしてしまって、失敗しちゃったなと思うときだってありますが、それでもやはりカレーとはおいしいものなのです。

 

そんなカレーが自分が自信を持って作れる唯一の料理であり、なおかつ得意料理だという男。女ならこんな男を「かわいいな」なんて思うこともあるのかもしれませんが、男である私からしてみると、「僕はカレーしかつくれないんだけど、けっこうおいしくできるよ。簡単だしね」などと軽く言ってくれた方が気楽に話せるのになぁ、などと思ってしまいます。

 

「カレーにはぜったいにシーフードは欠かせないよね」とか、「タマネギを飴色になるまで炒めてさ」などと言われると返答に窮します。「飴色」ってどんな色ですか? 炒めたタマネギを形容する以外には決して使わないくせにさ。

 

「ぜいたくにリンゴを二つもすりおろして」とか「トマトをつぶして入れるのが隠し味なんだよね」とか、出てくる出てくる。

みなさんもぜひ身近な人にきいてみてください。「得意料理」→「カレー」→「こだわりのレシピ」という流れで話は大盛り上がり間違いありません。

 

しかし、かくいう私も実はカレーが大好き。そしてそれしか作れず、また得意でもあるのです(注・「作れず」というのは他人に自信を持ってふるまえるレベルではないという意味で使っています。自分が食べる分についてはいろいろ作ることができるのですよ。なにしろ私はなんだって食べますからね)。

 

そう考えれば「私のカレー自慢」も、目を細めて寛大な気持ちで聞くべきなのでしょう。

実際に彼の手作りのカレーを食べるわけではないですし。

 

ところが、話の成り行きで本当に食べることになってしまったことが何度かあります。

彼の家に招かれ、本人のありがたい解説付きで調理を間近に見学し、彼のカレーを世界最高のカレーたらしめている秘密を私だけに惜しげもなく伝授していただいたのです。

 

例えば「バー〇ントカレーの中辛とジャ〇カレーの辛口とを何対何の割合で入れる」だとか「ジャガイモを小さく切っちゃう人が多いけど、うまいカレーにはジャガイモはぜったいに大きめ! 煮込むのにその分時間がかかるけど、その待っている時間がまたカレー作りの醍醐味なんだよね」とか「豆乳が」だの「ハチミツが」だの「月桂樹が」だの「タカノツメが」だの「あー」だの「こー」だの。

 

そしてついに完成。いよいよ食事です。

確かにおいしいのです、あたりまえですが。

 

「どう? どう?」とひっきりなしにきかれて「おいしいね おいしいね」とひっきりなし。

3分ごとに「どう?」「おいしいです」

3分ごとに「どう?」「おいしいです」

「おかわりは?」「おかわりください!」

「もう一皿どう?」「いただきます」あぁ。

 

「おいしかった」

「今日は本当に最高の時間を過ごせました」

「僕も今度作ってみようかな」

「さっきのレシピ、メモさせてもらっていい?」

 

   「食材は良いものを選ばなきゃだめだよ」

   「肉の代わりに魚を使えるようになれば上級者」

   「何といってもカレーはスパイスがキモだからね」

   「やっぱ、料理は数をこなさなきゃだよ」

 

「なきゃだよ、だって。バカだよ」

「早く帰りたい」

「食べ過ぎて吐きそう」

「さようなら」

 

カレーは自分の家で自分の好みで作って、コンビニで買った500円くらいの赤ワインを飲みながら黙って食べるのが好きということを再認識した冬の夜なのでした。